大山貝塚にある美底山御嶽は心霊スポットなのか聖地なのか

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大山貝塚

大山貝塚は沖縄県宜野湾市大山にある貝塚で、1972年5月15日に国の史跡に指定されました。

大山貝塚は、美底山御嶽(みすくやまうたき)、美底森(ミスクムイ)、ヤホソ森御嶽などと呼ばれており、昔からの聖域でもあります。

この美底山御嶽が、ノロの修行場、心霊スポットといわれています。

大山貝塚の美底山御嶽へ行く

普天間宮に立ち寄った後、息子に、

私

飛行機搭乗まで時間があるから、行きたいところがあれば1ヵ所なら行けるよ。

というと即答で、

息子
息子

大山貝塚!美底山御嶽!

と答えます。

どうやらネット上で沖縄の心霊スポットと言われている「大山貝塚」へ行って、本当に心霊スポットなのかを自分で確かめたいようです。

大山貝塚

大山貝塚へは、普天間基地のフェンス沿いに小路を登ってゆきます。

大山貝塚

少し歩くと大山貝塚の石碑が現れます。大山貝塚では2500年~3000年前の土器が出土しています。

昭和47年5月15日 国指定

この貝塚は巨岩を東に負い、北も同様な巨岩で画され、西と南は崖となった東西約50メートル、南北約15メートルのテラス状の平地に貝層が点在してできています。

昭和33年に実施された発掘調査では、貝層は約50戦地メートルの堆積となっており、磨製石斧、土器・骨針等の骨製品類が出土しています。

土器は、伊波、荻堂貝塚出土品とくらべて、型式的に後出のものが主体で、沖縄の貝塚時代前期後半に属します。これは縄文後期に並行するものです。

調査者はこの貝塚から出土する土器を6類に分けて分類しています。

そのうちⅡ類土器の横捺刻文を口縁部縁帯文として施文する土器は本貝塚中特筆すべき特徴があり現在南島先史土器のうち大山式土器として型式設定されています。

沖縄県教育委員会
昭和53年3月31日

美底山御嶽(みすくやまうたき)

大山貝塚の石碑を右に下り、美底森の中に入ると正面に大きな祠が現れます。

これが美底山御嶽(みすくやまうたき)です。

古くからの御嶽であることが見てもわかります。

大山貝塚

美底山御嶽の左側には、縦長のアリ塚のような形をした搭があり、天辺には、〇と△と◇の鏡がはめ込まれています。この搭は比較的新しいものに見えます。

美底山御嶽

祠の真下には、ミソカ・イマホラと呼ばれる石灰岩でできた洞穴があります。この洞穴でも遺跡が発掘されていますが、戦時中は壕として使われたのでしょう。

この洞穴が本来の美底山御嶽です。普天間宮などと同様に洞穴が琉球古神道における本殿なのですが、心霊スポットといわれると少し寂しい気がします。

美底山御嶽(みすくやまうたき)の左右にある石灰岩の崖面には洞穴などがあります。これらには昔、風葬された多くの人骨があったといわれています。

沖縄の心霊スポット!?

この美底山御嶽は、沖縄の心霊スポットとしても有名で、「祠より奥は死者の世界とされ、侵入すれば命の保証がない」という噂がありますが、そんな重い空気などは感じず、他の御嶽と同じように聖域という以外は何も感じませんでした。

でも夜に行けば真っ暗な森の中なので、当たり前に怖いとは思います。

美底山御嶽

美底山御嶽にお参りした後、「ほうき」が置いてあったので息子がお掃除を始めました。時々、御嶽のそばに「ほうき」が置いてあるところがあります。お参りの時に簡単にお掃除できるので良いですね。

大山御嶽

美底山御嶽のことを大山御嶽と呼ぶ方もいますが、大山御嶽は伊波門中の拝所で門中宗家の屋敷内にある別の御嶽です。

大山貝塚に向かう途中にある住宅街の中にあります。

大山御嶽

大山御嶽の案内には、

1761年に伊波門中の発祥を記念して建立された。その昔、与那覇宮城川(南風原町宮城にあるウスクガー)に天女が降りてきて、子孫を繁栄させた。子孫に伊波子と云う者がいて、200余年前に、この村にやってきた。平野に丘が続いて清水が湧き、近くに海もある。豊かな土地であったので、住居を構え、御嶽を建立した。子孫は大いに榮へ、その嫡子の謝名真徳は力強い武勇で、諸人に貴ばれた。碑文の裏に書かれた家名や位階、称号は、琉球王府の頃の一般庶民の村落移転や、祭礼の方法は勿論のこと、18世紀中頃の宜野湾間切(行政区画)の地方行政の在り方を知る貴重な文化財になっている。

と書かれています。