南山神社は、石積みに囲まれた南山城跡(なんざんじょうせき)の一画にあり、歴代の南山王の霊が祀られています。また南山火ヌ神と山川御持火ヌ神、神元御持火ヌ神が祀られています。
この南山城跡には、未の干支の龍神である仁天屋しろの大神の御嶽があります。
南山神社の社殿
鳥居をくぐると拝殿があります。拝殿奥の左右の壁際には火ぬ神が祀られていました。
そして本殿に続く参道があります。
南山城跡(なんざんじょうせき)
南山城は14世紀に山南王・承察度(うふさっと)により築かれた城です。15世紀前半(1429年)に琉球統一を狙う中山王・尚巴志によって滅ぼされました。発掘調査によって、中国製陶磁器やグスク系土器の他、備前焼きすり鉢、鉄鏃(てつぞく)、ガラス製勾玉などが出土しています。
現在の南山城跡は城壁と遺構の一部が残されており、遺跡の大半は高嶺小学校の敷地内、一部が南山神社になっています。また城跡内のガジュマル群落は「沖縄の名木百選」に選ばれています。またこの南山城跡は、地名から高嶺城、島尻大里城とも呼ばれています。
南山城跡(なんざんじょうせき)
糸満市教育委員会 平成十三年三月南山城は琉球三山分立時代(14世紀頃)に栄えたグスクです。南山は明国と交易を盛んに行い、財源を得たり、明文化を移入したりして城を中心に南山文化を築いていました。
15世紀になって中山王尚巴志に滅ぼされるまでの朝貢回数は22回を数えます。1984年、発掘調査が市教育委員会によって行われ、中国製陶磁器やグスク系土器の他、備前(びぜん)焼きスリ鉢、鉄鏃(てつぞく)、ガラス製勾玉(まがたま)などが出土しています。
これらの遺物から南山城は13世紀頃に築かれ、14~15世紀前半が特に栄えていたことが分かりました。
南山の東方には水豊富な「カデシガー」、北方には源為朝と王の妹との逢引場所だと伝わる「和解森(わだきなー)」があります。
南山城跡の拝所
南山神社の本殿の真後ろには、横長の拝所があります。
この拝所は、左側が西銘方按司御墓、右側が山川方按司御墓と言われますが遺骨はないそうです。
他にも拝所が点在しています。
仁天屋しろの大神の御嶽
南山城跡には、仁天屋しろの大神の御嶽があります。仁天屋しろの大神は、琉球神道の龍神である天火龍大御神(あまひりゅうおおかみ)の長男で未の干支の龍神です。
奥にあるガジュマルの木の間から、気持ち良い風が吹き抜けます。
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