琉球八社の波上宮は、沖縄県内でもっとも参拝者が多い神社です。那覇港を望む高台の上に位置する波上宮は、「なんみんさん」として親しまれてきました。
波上宮は、琉球瓦に朱塗りをふんだんに取り入れた沖縄らしい神社で、琉球石灰岩の断崖上に建つ朱塗りの本殿は竜宮城のようです。
遥か昔、波上宮本殿の鎮座する崖端の御嶽でニライカナイの神々に豊穣や平穏を祈ったことが始まりとされています。この琉球古来の信仰の場である御嶽は、普段は閉鎖されている本殿の右側にある扉の奥に昔のままの姿で残されています。
恋愛成就のパワースポットとしても人気ですが、古来より、縁結び・安産・旅行安全・子孫繁栄・延命長寿の神様です。
琉球王国においても特別な扱いを受けた波上宮
琉球王国においても特別な扱いを受けた波上宮は、琉球八社と呼ばれる八つの神社の中でも最上位に位置し、身近な神社として地元の人々に慕われてきました。正月三が日には毎年30万人もの人が訪れ、七五三やお宮参り、船のお祓いをされる方も多い神社です。
波上宮は、日本政府による沖縄県の皇民化計画の中で官幣小社へ列格されます。沖縄各所にあった御獄は村社として整理され、拝殿や鳥居をつくり神道の布教が行われました。
官幣小社へ列格される前年には、沖縄県が国幣中社の認定を申請していましたが、皇室の祖神である伊弉冊尊を祀っていたことから格上げのうえ列格されたと言われます。これらの社格の順は、官幣大社、国幣大社、官幣中社、国幣中社、官幣小社、国幣小社です。
波上宮は、現在では神社本庁の別表神社に指定されています。
波上宮に残る鎮座伝説
往昔、南風原に崎山の里主なる者があって、毎日釣りをしていたが、ある日、彼は海浜で不思議な”ものを言う石”を得た。
以後、彼はこの石に祈って豊漁を得ることが出来た。この石は、光を放つ霊石で彼は大層大切にしていた。このことを知った諸神がこの霊石を奪わんとしたが里主は逃れて波上山《現在の波上宮御鎮座地で花城と(はなぐすく)も呼んだ》に至った時に神託(神のお告げ)があった。
即ち、「吾は熊野権現也この地に社を建てまつれ、然らば国家を鎮護すべし」と。そこで里主はこのことを王府に奏上し、王府は社殿を建てて篤く祀った。
参拝客が絶えない波上宮
道路に面した所には、沖縄の神社ではないような立派な一の鳥居があります。一の鳥居は、平成2年(1990年)御大典を記念して改築されました。
一の鳥居をくぐると、二の鳥居が現れます。
二の鳥居をくぐると左手に「手水舎」があり、龍の口から水が出ています。看板に手水の作法が表示されているので、それに習って手を清めましょう。
波上宮は沖縄戦で被災し社殿は焼け落ちました。昭和28年に御本殿と社務所が、同36年に拝殿が再建され、平成5年の御造営により御本殿以下諸社殿が竣工されました。本殿は拝殿の奥にあり崖側に鎮座しています。
波上宮の主祭神は、伊弉冊尊(いざなみのみこと)・速玉男尊(はやたまをのみこと)・事解男尊(ことさかをのみこと)となっており、相殿神に竈神(火神)・産土大神・少彦名神が祀られています。
本殿裏にある崖端の御嶽、ニライカナイ神(竜宮神)などは主祭神には入ってないようです。
波上宮のご利益
波上宮は良縁結びのご利益があると有名です。また、良縁結び以外にも、家内安全や安産祈願など多くのご利益があります。
- 良縁祈願、家内安全、所願成就、悪縁消除、厄除、安産祈願、幸運長寿、大漁祈願、五穀豊穣
波上宮にある仮宮の世持神社と浮島神社
波上宮にある小さな二つの祠は、仮宮の(左)世持神社(よもちじんじゃ)と(右)浮島神社(うきしまじんじゃ)です。
世持神社
世持は沖縄語源で「豊かな世界、平和な世界を支える」という意味を持っており、世直しや殖産振興の神社として複数の産業から崇敬されていました。
世持神社は御際神と呼ばれる野口総管、儀間眞常、具志頭文若の三恩人を祭っていましたが、沖縄戦により社殿が破壊されご神体だけ残りました。残ったご神体は波上宮に仮宮として祀られることになりましたが、1937年奥武山公園に世持神社が創設され、現在はご神体と神社が分かれたままになっています。
浮島神社
1451年、琉球国王に即位した尚金福王の命により、浮島から首里まで海を渡って長虹堤という道路の建設が決まりました。しかし、海は深く波も高いことから工事が難航すると考えた人々は祭壇を設けて二昼三夜祈願を行ったところ、翌日には潮が引き海底が現れたと言われています。
長虹堤の工事後、神威に感謝するために天照大神を祀る神社として建てられたのが浮島神社です。
ちなみに、浮島は当時の那覇の地名で、浅い入り江と入り口をふさぐように横たわっている浮島と呼ばれる島から成りたっていたため浮島と呼ばれていました。
沖縄戦により、祭神・天照大神を本土に疎開させました。昭和40年、沖宮が別社を那覇市天久に建立中の過程で、本土に疎開した天照大神を迎え入れることで話がまとまり、天久に建立した別社を浮島神社と命名し奉安したと云います。しかし昭和63年に借地立ち退き問題が起こり、波上宮に仮宮を構えて移転し現在に至っています。
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