普天満宮は、琉球八社のひとつで宜野湾市唯一の神社でもあり、地元では「普天間神宮」とも呼ばれています。普天間宮には、普天間女神、琉球古神道神の日の神、竜宮神(ニライカナイ神)、普天満女神(グジー神)と天神・地神・海神といった沖縄ならではの神様、日本神道の熊野権現、いざなみの尊や天照大神も祭られています。普天間宮は、那覇空港から車で約40分の場所にあります。
普天間宮の由来と歴史
普天満宮のはじまりは、琉球王国時代に普天満宮洞穴へ琉球古神道の神が祀られたことであると伝えられています。また琉球国王である「尚金福王」から「尚泰久王」がおさめた時代時代(1450~60年)には、熊野権現も合わせて祀られるようになりました。熊野権現は、普天満宮を熊野那智、末吉宮を熊野新宮に、識名宮を熊野本宮に見立てて信仰されていたそうです。
祀られている全ての神様は、合わせて「普天満権現」と呼ばれています。
昭和20年(1945年)に起こった沖縄戦では、アメリカ軍から逃れるため北から南下する人々と共に、本島南部へと普天満宮のご神体も避難しました。
終戦後もしばらくの間は、アメリカ軍によって敷地が占領されていたため、具志川村(現在のうるま市)に仮設の宮が造られます。その4年後、昭和24年(1949年)にアメリカ軍により現在の敷地が解放され、無事に元の本殿へと戻されました。現在の社殿は、平成16年(2004年)に再建されたものです。
首里城から普天間宮までの参詣道
鳥居をくぐって境内に入ると、正面に赤瓦の屋根を持つ大きな拝殿と本殿が建ち、沖縄独特の雰囲気を漂わせます。
琉球時代の普天満宮には、旧暦9月になると重箱詰のごちそうをもって参詣する「フティマ・メー」という習慣があったそうです。それは王家も例外ではなく、王が自ら参詣していました。
首里城から普天間宮までは距離がありますが、国王が参詣するための参詣道がのびていたそうです。その参道は、戦後に米軍普天間飛行場となっています。
普天間権現 樋川
駐車場への道の途中に、普天間権現の樋川という拝所が境内にありますが水場はありません。拝みをしてる人がいたので、何か由来があるのだと思います。
琉球の守り神である狛シーサー
拝殿への階段のわきには、琉球の守り神である狛シーサーが置かれています。
普天間洞穴
琉球古神道が祀られた普天満宮洞穴は、本殿の下にありますが普段は鍵がかけられていますが、社務所での受付を行えば無料で拝観できます。鍾乳洞でできた全長約280メートルの洞穴の、およそ50メートルが一般公開されています。また、1991年8月1日に「宜野湾市天然記念物」にも指定されています。
この普天間洞穴が普天間宮の本当の本殿と言ってもよいでしょう。
沖縄ではこのような祭祀を行う場を御嶽うたきといいます。沖縄の古くからの信仰における場で、「ノロ」という神官が御嶽で祈りをささげていました。
普天満洞穴は有名な御嶽の一つです。
普天間洞穴に残る伝説
普天間洞穴にはふたつの伝説が残っています。
普天満宮女神の伝説
那覇市首里桃原には、普天間権現発祥之地という御嶽があります。普天間宮の神様となった女性の生誕の地といわれます。
昔、首里の桃原というところに、世にも美しいひとりの乙女が住んでいた。
優しく気品に満ちたその容姿が人々の評判となって首里はもとより、島の津々浦々まで噂となっていた。
しかし不思議なことに誰ひとりその乙女を見た人はいなかった。
いつも家にこもりきり機織りにせいをだし、外出もせず他人には決してその美しい顔を見せなかった。
神秘的な噂に憧れて、村の若者達は乙女に熱い想いを寄せていた。
ある夕方、乙女は少し疲れてまどろむうち、夢とも現ともなく荒波にもまれた父と兄が、目の前で溺れそうになっている情景がありありと見えた。
数日前、父と兄や船子たちを乗せた船は、大勢の人に見送られ出帆していたのだった。
乙女は驚いて父と兄を必死に助けようとしたが、片手で兄を抱き、父の方へ手を伸ばした瞬間、部屋に入ってきた母にわが名を呼ばれてハッと我に返った乙女は、父を掴んでいた手を思わず放してしまった。
幾日か過ぎて、遭難の悲報とともに兄は奇跡的に生還したが、父はとうとう還ってこなかった。
乙女の妹は既に嫁いでいたが、ある日、夫が
「お前の姉様は大そう美人だと噂が高いが、誰にも顔を見せないそうだね。私は義理の弟だから他人ではない。一目でいいからぜひ会わせてくれないか。」
と頼みました。
しばらく考えた妹は
「姉はきっと会うのを断るでしょう。でも方法がひとつあります。私が姉様の部屋にいってあいさつをしますから、そのとき何気なく覗きなさい。決して中に入ってはいけませんよ。」
と答えた。
乙女はいつものように機織りの支度をしていたが、その美しい顔になんとなく愁いが見える。
神様が夢で自分に難破を知らせて下さったのに、父や船子たちを救うことができなかった悲しさが、乙女の心の糸車に幾重にも巻きついて放れなかった。
旅人や漁師の平安をひたすら神に祈り続ける毎日であった。
「姉様しばらくでございます!」
妹の声に振り向いた乙女は、障子の蔭から妹の夫が覗いているのを見つけた。
その途端に乙女は逃げるように家をとびだし、末吉の森を抜け山を越え飛ぶように普天満の丘に向かう乙女に、風は舞い、樹々はざわめき、乙女の踏んだ草はひら草(オオバコ)になってなびき伏した。
乙女は次第に清らかな神々しい姿に変わり、普天満の鍾乳洞に吸い込まれるように入っていった。
そして、もう再び乙女の姿を見た人はなく、現身の姿をした乙女は、普天満宮の永遠の女神となられたのである。
熊野権現にまつわる伝説
昔、中城間切安谷屋村に夫婦が住んでいた。
貧乏ではあったが夫婦は大変仲が良く、真面目に生活していた。ある年の事、作物が取れず年貢も納めることが出来なかった。
そこで夫婦は相談をし、妻は首里の殿内奉公に行くことになった。ときどき髪を切って髢として売り、供えの品を買って、毎夜普天満へ行きお祈りすること三、四年、風の日も雨の日も一日も欠かさず通った。
九月のある夜、いつものように夜道を普天満へ行き、鳥居に近づくとひょっこり一人の老人に会った。
老人は「大切な品を持っているが用を足して来る間、ちょっと預かってはくれないか。」
と話しかけてきた。
再三言葉を尽くして断ったが、老人はその品を押し付けて何処かへ立ち去ってしまった。やむを得ず、預けられた品を守っていたが、老人はいくら待っても戻ってこない。
ついに待ちきれなくなって品物を持ったまま首里に帰った。
その後も品物を返さねばと思い老人に会った場所へやって来るが、どうしたものか一度も姿を見せなかった。
妻は、その老人に会わせてくれるようにと祈り始め、ある晩夢に老人が現れて「吾は熊野権現なり、汝等は善にしてその品を授けるものなり。」
と、毎晩同じ夢を見るので不思議に思い、その包みを開けてみると、まばゆい程の黄金が入っていた。
夫婦は驚き、神の恵みに深く感謝して御恩返しに石の厨子を造り石造三体(権現)を安置した。
その家は富貴となり、この事は秘していたが、いつしか知れ渡り、以来人々から信仰されるようになった。
普天間宮のご利益
普天間宮は、結構沢山のご利益があるようです。
健康祈願 厄祓い 家内安全 交通安全(車の清め祓い) 旅行安全 良縁祈願
合格祈願 必勝祈願 子授祈願 就職祈願 災難除 方位除 心願成就
病気平癒 開運招福 結婚奉告 神恩感謝 報賽祈願 お宮参り(初宮詣)
安産祈願 七五三詣 成人奉告 還暦など寿祭 その他
中でも良縁祈願と建築関係諸祈願のご利益が特徴で、県内外からもたくさんの参拝者が訪れるといいます。
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