琉球八社のひとつ金武宮(きんぐう)は、金武観音時境内の鍾乳洞にあります。
16世紀に日秀上人が金武の鍾乳洞を拠点とし布教活動を行い、金武観音寺(きんかんのんじ)を創建したと伝えられています。日秀上人が拠点としたと言われる金武観音寺境内の鍾乳洞が金武宮です。この鍾乳洞は日秀洞または金武鍾乳洞と呼ばれています。
金武観音寺は高野山真言宗の寺院です。戦争によって沖縄の社寺建築の多くは焼失しましたが、金武観音寺は戦災を免れました。
金武観音寺の社殿
金武観音寺は、古い建築様式をとどめた貴重な木造建築です。屋根は沖縄の寺らしく琉球赤瓦で葺かれています。
金武観音寺は、日秀上人が尚真王(1478年~1526年)の代に金武に寺社を創建し、金峰山、観音寺として弥陀、薬師、観音の三像を刻して奉安なさったのが始まりと言われています。昭和9年、450年続いた観音寺も失火によって全焼し、昭和14年、住職および村民の協力によって現在の観音寺が建立されました。また沖縄本島で唯一戦災を免れ、槙材を多く用いた沖縄の建造物を引きついだものとして高く評価されています。
鍾乳洞全体が金武宮
金武観音寺に向かって右側の境内に鍾乳洞の入り口があります。鍾乳洞内には金武権現と水天が祀られています。
水天(すいてん)
十二天の西の担当です。川や海に住む神や竜たちの主で、竜を眷属とします。
左手に持つのは竜の索。頭の上に五匹の竜が居るのが基本形で、七匹または九匹もあります。後背の輪は水輪です。
水は仏教的元素、五大(地水火風空)の一つ。水は高いところから低いところへ流れ、植物を潤し花実を育てます。智慧も水と同様に、法界より世間に流れ、未熟な修行者を潤して悟りの大果実に導きます。
また、水は高いところから低いところへ流れるとともに、器に応じるので、平等を意味します。
鍾乳洞は長さ270m、地下30mの大きさで、龍神信仰の発祥地として古くから人々が祈りを捧げていたそうです。
階段を降りていくと右に布袋様、左に金武権現の祠が現れます。
更に下に降りてゆくと、金武宮の本殿があります。金武宮の社殿は創建以来設けられていなかったそうです。鍾乳洞全体が金武宮の社殿と言われています。
以前、鍾乳洞のさらに奥は観音寺近くの蔵元「金武酒造」の泡盛の保管場所になっていました。洞窟内はほぼ1年を通して約18度の気温が保たれているので、泡盛を寝かせるのにちょうど良いのでしょう。保管する泡盛の量が増えすぎたので他の鍾乳洞に移ったそうです。現在、泡盛が置かれていた奥の大広間部分は自然環境保護のため立ち入りが制限されています。
また、この鍾乳洞は大戦中には避難壕として使用され、戦後はロックミュージシャン達が集う外国人酒場として使用されていたこともあるそうです。
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