天照大御神は沖縄の地に3度降臨されており、一番古い時代が御先、次に中の時代、今の時代で名前が違います。そして沖縄には、その時代ごとの 天照大御神 の御嶽があります。
御先の時代 天受久女龍宮王御神(てんじゅくめりゅうぐうおうおんかみ)
中の時代 天智門女龍宮王御神(あまちじょうめりゅうぐうおうおんかみ)
今の時代 天受賀女龍宮王御神(てんじゅかめりゅうぐうおうおんかみ)
天照大御神(アマテラス)は太陽の女神
八百万の神々で最高位に位置しているのが 天照大御神 で、伊邪那岐神(イザナギ)の左目を洗ったときに生まれました。また伊邪那岐神の右目を洗ったときには月読命、鼻を洗ったときには須佐之男命が生まれました。
高天原を統治することになった 天照大御神 は太陽の神となります。弟神の須佐之男命(スサノウ)の乱暴によって岩戸屋に身を隠したとき、世界は闇に覆われたとされます。
太陽は、万物すべてに光を与え包み込むことから、あらゆる願い事を聞き届けるという意味で、所願成就のご利益があるとされています。
天受久女龍宮王御神 (御先の時代)の御嶽
那覇市にある沖宮の天燈山御嶽に鎮座する天受久女龍宮王御神は、伊勢に行く前に降臨された時の名前です。 神社神道では天照大御神と称し、沖宮では天受久女龍宮王御神(天照大御神・御先女天神代)と称えています。
2021年現在の天燈山御嶽では、天受久男龍大御神(須佐之男命・御先男天神代)の石碑と共に祀られています。
天照大御神は、沖縄に初めて降臨された天龍大御神の 3 人の御子神、天風龍大神、天火龍大神、天水龍大神と 、3 人の天女、表臣幸乙女王、中臣幸乙女王、底臣幸乙女王の結びの為に降臨され、それから本土へ渡りました。
天照大御神は、地上に天下りされた実在神であり、農耕生産の守護神として、養いの神として、また太陽神として祭られています。
また沖宮のある奥武山は、昔は入り江に浮かぶ島でした。歩いては行けなかったので、多くのユタやカミンチュに、たどり着く人しかたどり着けない最古の神地と言われた御嶽です。
天智門女龍宮王御神 (中の時代)の御嶽
南城市玉城親慶原には、 天智門女龍宮王御神 の御嶽があります。 天智門女龍宮王御神 は、中の時代に降臨された時の名前です。
御嶽は、集落の中央にある小高い丘の上にあります。
長い階段を上ると集落の拝所があり、火の神などが祀られています。そして拝所には十字架が。
十字架が彫られている拝所は初めて見ました。
近くには戦没者の慰霊碑もあります。草は刈られてお参りし易く整えられています。
拝所の右に 天智門女龍宮王御神 の御嶽があります。
天受賀女龍宮王御神 (今の時代)の御嶽
名護市安和にある部間権現には、 天受賀女龍宮王御神 の御嶽があります。
部間権現 の鳥居を登っていくと左側に大きな拝殿が現れますが、そのまま奥へ進み岩間を上がっていった所が 天受賀女龍宮王御神 の御嶽です。
天受賀女龍宮王御神 の御嶽は、拝所のみで他の御嶽に見られるような石碑はありません。
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