浮島神社の跡地にある🐮中臣幸乙女王の御嶽

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中臣幸乙女王

中臣幸乙女王(なかしんこうおとめおお)は、天火龍大御神(次男)の奥様です。天火龍大御神の御嶽からは少し離れています。

恵比須神社で見た光景と似ている御嶽

中臣幸乙女王

集落の中に岩が突出した狭い敷地に、しめ縄が張られた小さな鳥居があります。いちばん奥には「地頭火神」の石碑、そして「混比羅大明神・恵比寿大明神・大国大明神」の石碑があります。

中臣幸乙女王
中臣幸乙女王

そして右に行くと、簡単な屋根を設えた祠には「恵比寿」、「大黒天」の石像と、その間に「中臣幸乙女王」の石碑が置かれ、中臣幸乙女王の碑わきには、「恵比須大明神」と「参天うみ賜ひ母神」の文字が刻まれています。

この御嶽は、恵比須神社で見た光景に近いものがあります。

中臣幸乙女王の御嶽がある場所は浮島神社の跡地だった

調べてみると、この場所は浮島神社が置かれていたという場所に一致します。

琉球で最初に建立された神道式の神社は長寿宮といいます。戦前に、荒廃した長寿宮の社名を浮島神社に改めて再興の動きが在りましたが、戦禍が厳しくなり中断されました。

昭和40年、沖宮が別社を那覇市天久に建立することになり、長寿宮の祭神である天照大神を迎え入れて浮島神社と命名しました。

しかし、昭和63年に借地立ち退き問題が起こったため、波上宮に仮宮を構えて移転したとのことです。

恵比須神社も沖宮の先代がつくられたとのことなので、石碑が恵比須神社とほぼ同じということも頷けます。小さな鳥居は浮島神社時代の名残なのでしょう。

社殿などの形跡はありませんが、岩の周りの空間はそのまま残されたのではと推測します。

天照大神を迎え入れたと有りましたが、この場所にはありません。きっと波上宮の仮宮におられるのではないかと思います。

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