古来より、沖縄では太陽の昇る東方のことを゛あがり゛と呼び、そこは理想郷・二ライカナイのある聖なる方角であると考えられていました。
「東御廻り」とは、創造神・アマミキヨが二ライカナイから渡来して住みついたと伝えられる霊地を巡拝する行事です。
首里城を中心として、太陽が昇る東方(あがりかた)、または東四間切(あがりゆまじり)といわれ、太陽神信仰と密接な地域であった玉城、知念、佐敷、大里に点在する聖地をまわる巡礼になります。
園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)
園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)は1519年に築かれた門で、王家の拝所として使用されました。国王が城外に出る時に道中の安全を祈願したり、聖地を巡礼する行事や最高神女(のろ)・聞得大君(きこえおおきみ)の即位式も最初にここを参拝したといわれています。
東御廻りの第1番目の拝所です。
御殿山(うどぅんやま)
御殿山(うどぅんやま)のある場所は、昔、海辺だったことから浜の御殿とも呼ばれていました。琉球国由来記によると、この御殿山にはアマオレツカサと言う神が祀られていて、天女が舞い降りた場所とも記されています。
王や聞得大君(きこえおおぎみ)が園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)を出てから、最初に寄るのがこの場所です。
与那原親川(よなばるうぇーがー)
与那原親川(よなばるうぇーがー)は、御殿山に天降りした天女が、この湧井の水を産湯に使ったと伝えられています。
また、与那原小浜の初日の出を拝んだ国王が、ここ親川で手足を清めたという民話も残っています。
場天御嶽(ばてんうたき)
場天御嶽は、琉球王国を建国した尚巴志の祖父、佐銘川大主が伊平屋から移り住んだ住居跡にありましたが、1959年の大雨による崖崩れと地滑りにより住居跡一帯が埋没しました。
一年後にむらの氏神を祀っていたイビの森に移されました。また佐銘川大主住居跡にあった井戸、御天竺神、伊平屋神も一緒にイビの森に移転しました。
佐敷上グスク(さしきがみぐすく)
佐敷小学校裏の丘陵の上に築城されていたグスクで、琉球三山統一を果たした尚巴志(しょうはし)とその父である尚思招(しょうししょう)の居城です。大里城を攻め落としたのち、この佐敷グスクより居を移しました。
グスク跡からは中城湾や勝連半島を一望できる高台にあり、久高島も望むことが出来ます。グスク跡には、尚巴志の一族を祀った「つきしろの宮」が建立されていいます。
テダ御川(てだうっかー)
知念知名崎の海岸にある聖地で、太陽神がここに降臨したと伝えられることから「テダ(太陽)」の名がつけられました。琉球国王が久高島に渡る際、ここの湧き水を飲み休息をとり、ノロたちは航海の安全祈願をしたといいます。
斎場御嶽(せーふぁうたき)
斎場御嶽は、琉球の最高神女(さいこうしんじょ)であった聞得大君(きこえおおきみ)の就任の儀式が執り行わられ、国の吉凶を占う儀式も行われた、琉球王国最高の聖地です。
斎場御嶽は、数ある御嶽の中でも琉球王国最高の聖地として、王府が直接管理していました。
斎場御嶽の中にはイビと呼ばれる霊域が6カ所あります。その中でも、大庫理(ウフグーイ)・寄満(ユインチ)・三庫理(サングーイ)はいずれも首里城内にある建物や部屋と同じ名前となっており、首里城との深い関わりを示すものと言われています。
知念グスク(ちねんぐすく)
沖縄最古の古謡集「おもろさうし」にもうたわれ、琉球王国時代から続く、聖地巡礼「東御廻り(アガリウマーイ)」の拝所のひとつです。
アーチ門の切り石積みのミーグスク(新城)と自然石を積んだクーグスク(古城)とよばれる2つの郭からできています。
城内の友利御之嶽(とむいぬたき)が、東御廻りの拝所です。
知念大川(ちねんうっかー)
知念グスクの西側にある泉で、水源地は石灰岩の断崖の奥深くにあります。泉の後ろにあるウカハルには、琉球開びゃく祖神のアマミキヨが天から稲を持ちかえり、この地に植えたという伝説がのこされています。
受水走水(うきんじゅはいんじゅ)
百名の海岸からほど近い2つの泉で、西側を受水、東側を走水といい、受水に面して御穂田(ミフーダ)と呼ばれる田がある。琉球における稲作発祥の地という伝説が残っています。
ヤハラヅカサ
海の彼方にある神々の住む理想郷「ニライカナイ」から久高島に降り立った琉球の創世神アマミキヨが、続いて沖縄本島に上陸したときに最初に足に降ろした場所とされているのがヤハラヅカサです。
アマミキヨはここから浜川御嶽を経て、ミントングスク、玉城グスク、知念グスクへと歩みを進めていったと伝えられています。
ヤハラヅカサの石碑は満潮時には海中に没して見えなくなりますが、干潮時に姿を現します。
浜川御嶽(はまがーうたき)
百名ビーチ北端の崖の上にある御嶽で、琉球創世の神と言われるアマミキヨがヤハラヅカサに降り立った後、仮住まいをした地とされています。
ミントン城跡(みんとんぐすく)
琉球の開祖アマミキヨがヤハラヅカサから上陸して、浜川御嶽に仮住まい、その後本格的に住んだのがこのグスクであるとされています。
アマミキヨが丘陵部へ進出して開いた安住の地と伝えられる。普通にいうグスクより祭祠遺跡として名高い、古代からの聖地と言われています。
玉城グスク(たまぐすくぐすく)
標高約180メートルの天然の要塞に築かれた城跡で、急な階段を上ると、石灰岩をくり抜いた印象的な円形の城門があります。
別名(アマツヅグスク)とも呼ばれ、アマミキヨが築いた琉球七御嶽のひとつです。本丸門はニライカナイに通じると伝えられています。
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