近年になり、核家族化が進むと共に「お墓なんていらない」という人が増えているという。
私の親は戦前生まれであるが、先祖からのお墓に入らず沖縄の海に散骨して欲しいというひとりだ。そして、葬儀さえもしなくていいという。
だが、親の考えに同感する私がいる。
私も終活を始める時は、どのようにして欲しいかということをはっきりと子供へ伝えておかなければならない。
日本人の7割は無宗教と言われる
地域によってばらつきはあるが日本人の7割は無宗教だという。私の先祖は浄土真宗の門徒だが、私は普段から浄土真宗への信仰心はなく、子供もまた同様である。
実際のところ、宗教には入っていないが無宗教というのではなく、分類的には自然崇拝というのだろうか。
日本の古神道の由来の民間信仰・神道の根底には、あらゆる物に神・精霊や魂などの霊的存在が宿ると考えるが、その考え方が好きだ。
だが亡くなったときから浄土真宗の門徒になるのかもしれない。
子供が僧侶に高いお金を払って戒名をつけてもらい、浄土真宗のお経を唱えてもらって先祖からのお墓に入る。そして、49日の法要からはじまり50回忌までの法要を行うことになる可能性もある。
いや、無宗教は亡くなってからも無宗教のままでいい。
子供が何回も法要を行うためにお金を使わなくてもいいと思う。法要を行わなくても少しは私のことを思い出してくれるだろう。
変わりゆくお墓の在り方
そもそもお墓って何のためにあるのか。
その歴史は古く中国の孔子の時代に遡る。礼記という書物の中で、「人は必ず死に、死ぬと人間の魂は体の魂と精神の魂に別れる。体の魂は土にかえる。」というようなことが書いてある。
その際の魂の拠り所がお墓である。
精神の魂は死んでも消えないような気がするが、体の魂の拠り所は必要なのか?と思ってしまうのは、時代の流れか、もしくは私のこの世の修行が足りないからだろう。
お墓に入るのは自分の抜け殻で、私の精神の魂はお墓なんかにはいない。きっとこの世で行けなかった世界一周旅行にでも行っているだろう。
一般墓と言われるのは、私たちが「お墓」といったときにイメージするもっとも伝統的なスタイルである。
昔からお墓はすぐにお参りできるように近隣に作った。また昭和の時代までは先祖と一緒の墓に入ることを疑う者はいなかっただろう。
近年では核家族によってお墓の在り方も変わってきており、先祖とは違ったスタイルを求める人が多いという。一般墓に入る以外にも、散骨、納骨堂、屋内墓苑、樹木葬、ガーデニング霊園、ペットと眠る霊園などいろいろなお墓のスタイルがある。
墓参り+リゾートというコンセプトのお墓
現在は、「墓参り+リゾート」という新しいコンセプトのお墓が注目を集めている。
「リゾート葬」と呼ばれ、近くに温泉がある霊園、沖縄へ旅行しないと行けない霊園、北海道の広大な敷地にラベンダーが広がるラベンダー墓所、さらには使用者、名義人様だけが降りられるプライベートビーチが付いており、霊園を訪れた人たちがバーベキューや海水浴を楽しめるお墓があるという。
リゾートを楽しむついでに墓参りをするのか、墓参りのついでにリゾートを楽しむのかは自由だ。きっと、リゾート葬は、子供も孫も喜んで墓参りに訪れることだろう。
「お墓なんていらない」という人達が意外にも多く、なんとかお墓を買ってもらおうという苦肉の策であろうが、近隣観光とご当地グルメツアーなどをセットにしたリゾート葬ツアーもあるという。
令和が終わり次の時代を迎える時には、「墓参り+月旅行というコンセプトのお墓」が流行っているかもしれない。
まとめ
時代は「お墓」という暗いイメージではなく、「メモリアル」という感じである。先祖を思い出しながら楽しく過ごせる「新しいコンセプトのお墓」。
きっと、そこに幽霊が出ることはないだろう。
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