水泳クラブにはいろいろなコーチがいる。
コーチに見てもらうことで選手達が期待していることはただひとつ。
「早く泳げるようになること。」
である。
子供が水泳クラブに通うようになっていろいろなコーチと出会ったが、その指導方法でいいのだろうかと疑問を感じることが多かった。
練習を観覧している親たちの話を聞いていても同じように感じている人が多いことがわかる。
私が見てきた水泳クラブの場合の練習風景
3つの水泳クラブを経験したが練習風景はほぼ同じだ。
選手達が一列に並び、コーチとプールに一礼して練習が始まる。
メニューをこなすことだけが課題
コーチはビート版に「今日のメニュー」を貼り、選手たちはそのメニューを見て今日の練習内容を把握する。そして練習内容が把握できた選手からプールに入ってゆく。
練習メニューには、パドルを使う練習やフィンを使う練習など細かく指定されている。選手はメニュー表を見ながら黙々とメニューをこなしてゆく。
コーチは、選手たちがメニューをこなす姿をプールの上から黙って見ているだけでプールの中に入ることはない。プールの外から個別に指導することも稀である。
時折、ストップウォッチを片手にコーチが声を荒げる。
何してんだ!サークル周れてないぞ!遅い!
そして、2時間のメニューを終えると練習は終了する。
選手たちはコーチとプールに一礼して練習を終わる。
このような風景が黙々と毎日続く。
水泳用品 パドルやフィンに頼った練習
コーチがフォームを指摘することはなく、淡々と泳ぐ毎日。
パドルやフィンなどの「用品に頼った練習」という印象である。
確かに用品を使うことでフォームを修正するという効果があると言うが、指導が伴ってこそ効果があるのだと思う。
「キックやフォームの修正は用品にまかせてとにかく距離を泳がせる。」
そんなコーチが多いのではないだろうか。
コーチが選手がボードに貼られたメニューをこなす選手の姿をただ見ているだけで、個々にアドバイスのひとつも無い光景を見ると、
「ある程度までは早くなれるだろうが、いつか限界がやってくる」
と感じる。
水泳選手を追い込むのが好き
泳ぐことを楽しむ余裕はない
選手を委縮させるパワハラコーチはどこのクラブにもいる。練習中も選手に対する暴言を吐いたり、無言の圧力をかける雰囲気が観覧席にもひしひしと伝わってくる。
コーチが言うことが絶対で、選手とのコミュニケーションがとれていない水泳クラブには活気がなく異様な暗さが漂う。すでに子供たちは水泳を楽しんでいる雰囲気ではない。
泳ぐことが楽しいということが前提で、選手たちは水泳が続けられるのだと思う。
水泳クラブの練習を休むと体が元に戻る
水泳クラブの多くは、
早く泳げるようになるためには練習を休んではいけない1日でも休むと元に戻る。
と教える。
そして、体調が悪くて休んだときは後日の練習で必ず怒られる、
何で練習を休んだんだ!少しくらいの熱でも練習に来い!そんなの泳いでいれば良くなるんだ!学校休んでもクラブは休むな!
このような水泳クラブでは、そのうち疲労が蓄積して故障する選手が出てくる。
でも、その時コーチは言う。
故障をするような練習の仕方はしていないぞ!
そう、すべての責任の所在は選手にあるのだ。
責任転換である。
指導方法が古い時代のもので、リフレッシュすることがケガの防止や身体の強化に重要であるという新しい考えを知らない。
たとえ少し休んでも、一度マスターした泳ぎを忘れることはない。
水泳コーチの厳しい指導は日本独特
日本の水泳クラブで良く見かけるコーチの厳しい指導は日本独特と言われる。海外では選手の個性と自由性を尊重しなければコーチについてこないという。そして日本の水泳クラブの練習風景は、海外の人から見るとまるでなにかを調教しているような感じに見えるらしい。
根性と精神力
日本では昔から「何事も根性と精神力で乗り切れる。」という考えが好きだ。水泳で言うと、「ハードな練習に耐え距離を泳げば結果が出る。」という考えである。しかし、根性と精神力が必要になるのは正しい方向性が定まった後である。
コーチは選手の泳ぎの癖を修正し、泳ぎのテクニックを伝授してから根性論を唱えればよいと思うのだが、その方向性が違うようにしか思えない。
最終目標は水泳コーチが問題とならない自分を作ること
水泳クラブでは、コーチの指導方法が合わないという事が多々あるのではないですか?
という問に対して、あるコーチは言う。
自分なりの練習方法や調整方法を身に着けてしまえば、どのコーチの基でも関係なくなる。それを出来るようにすることが僕たちコーチの役割なのです。
強い選手になるためには、コーチに依存しない自分を作り上げることが一番の課題なのだ。
まとめ
「選手を追い込むのはコーチではなく自分自身でなければならない。」
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