文部科学省では、校則を「児童生徒が健全な学校生活を営み、より良く成長・発達していくため、各学校の責任と判断の下にそれぞれ定められる一定の決まり」と定義し、校則の内容と運用に関しては、児童生徒の実態や保護者の考え方、地域の実情、時代の進展などを踏まえることが大切だとしている。
一般的な校則の存在意義
一般的に校則には、4つの存在意義があると考えられている。
集団の秩序を守るため
「遅刻をしてはいけない」、「授業中は静かにする」といった集団生活で守るべき常識。
これは社会生活の中で必要なことである。
危険回避のため
「窓に寄り掛からない」、「廊下は走らない」など、学校生活でのリスクを避ける。
これもリスクを避けるために必要なものだ。
平等を守るため
中学校は義務教育であるため、原則すべての子供が学校へ来れないといけない。制服などを統一することにより、できるだけ生徒が平等な条件になるように配慮している。
すべての生徒が同じように学校生活を送れるようにということだと思うが、給食と弁当が併用されていたり、制服が考案されてから社会状況は大きく変化しているなど、平等感を守るためという存在意義はなくなっている。
生徒の心の揺れを発見するため
「服装などの乱れは心の乱れ」と一部の教師たちの間でいわれるように、服装や髪型などに共通のルールを定めることで、子どもたちのサインを見逃さないようにしている。
制服の下に着るシャツの色は白、ソックスの色は白、靴の色は白、靴紐の色は白、男子の髪の毛は耳にかからない長さ、女子は肩にかからない長さ、髪は染めてはいけないなど身だしなみについてはこと細かく決められている。
公立小学校は私服であるが、中学生になると服装などをこと細かく決められる、高校生になると中学生より緩くなり、大学生になると解放される。
子供たちのサインは服装や髪型だけに現れるのではない。
実際は別の問題であり服装や髪型に乱れがなくても悪い子は悪い。
地味におかしい規則
教師に校則の意義を聞くと、「社会に出てから困らないように」と説明される。しかし、実際は社会とはかけ離れた規則も多い。
変な遅刻
昔は、チャイムがなると校門が閉められ、遅れてきた生徒は生徒手帳を没収されたものだ。
最近の遅刻は少し事情が違うらしい。
学校に行く→校門を通る→教室に入る→カバンを教室の後ろの棚におく→着席する。までができなかったら遅刻とされ通知表に回数をカウントされる。
下駄箱から教室までの距離が近いクラスが有利。
自分の机が後方でカバン置き場までの距離が近いと有利。
何か忘れ物に気づきカバンに取りに行っている間に授業の開始時間になったらアウト。
昔であれば、チャイムが鳴り終わるまでに行動できていたらセーフだったが、この学校はノンチャイム推奨だから担任の先生がアウトと言えばアウトになる。
かなり不確かな判定で、担任の先生の気分や好き嫌いでどうとでもできる。このため、担任によっては普通に通学していても、遅刻の回数は1期だけで20回以上になることもある。
しかもこの遅刻は、どの時限から登校しても同レベルの扱いとなる。たとえば5時間目に学校へ来た生徒でもその日は遅刻+1という事になる。
通知表に記述された遅刻回数を入試の時に提出しなければならない高校もあるというのに残酷だ。
ノンチャイム
多くの人がチャイムを聞くと学校を想像するだろう。
最近は、チャイムを聞かなくても時計を見て行動ができるようにとノンチャイムというものがある。
チャイムは鳴らず授業が始まる時間に着席できていないと生活態度の減点になる。時計着用は認められておらず電波時計が校内のあちらこちらに置かれているが、どこにいても見えるという訳ではない。
腕時計も安い時代だ。いっそのこと生徒に腕時計を着用させ自主的に行動することを促したほうがいいのではないか。
身体接触禁止令
肩を組み合ったり、手をつないだりするような、生徒同士の身体接触を禁止するもの。
生徒同士がふざけ合っているのか、いじめられているのかが、先生から見て判りにくいので、いっそのこと身体接触を禁止してしまおうというもの。
増えてゆく独自の規則
昔より細かな独自の規則が増えている。
生徒とぶつかり合えない教師が、簡単に管理できるように規則を増やす。
なんて変な時代になったのか?
今の中学生は、先生には媚びを売りながら学校生活を送るしかないのかもしれない。
髪を染めていれば悪い子、服が乱れていれば悪い子はひと昔前の話、今は服装や髪型などの見た目は普通の子がSNSでいじめをする時代だ。
シャツの色は白、ソックスの色は白、そんな表面的なものではなく中身がある有用な規則にはならないものか。
子供に社会の常識を教えるための規則も時代に合わせて進化して欲しいものだ。
まとめ
「変な規則で縛るより、社会生活で生きる規則があれば良い。」