パワハラ教師に追い込まれる生徒の日常パート1

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南国気分

近年、担任教師により子供が追い込まれ自殺するというニュースをよく聞く。

不登校問題も、子供同士のいじめの次に多いのが、教師が要因となっていることに驚かされる。

子供が中学生になり学校と関わる中で、ニュースになる事件が特別なものではなく、どの学校でも、教師によるパワハラ、差別、いじめなどが行われているのではないかと感じる。

学校は教師という威厳を守るためにクローズ化された社会

子供たちの声を聴こうとしない。

親が相談しても親身にならない。

教育委員会に相談しても改善されない。

結果としてあやふやなまま放置される。

いざ事件となれば形式的に教育委員長が謝罪するが、それでも学校側は非を認めようとしない。それが現実であるように思う。

女教師が起こすさまざまな出来事

息子が中学に入学してからいろいろな事件が起こるようになった。他の生徒より体格がよい事だけでさまざまなトラブルに巻き込まれるのだ。

問題をよく起こす生徒は他に沢山いるのだが、担任は怖くて関わり合いたくないらしく、息子のみにつきまとうという。

大きくて目立つから

みんなが同じことをしていても、「大きくて目立つから」という理由で息子だけ怒る。

どうやら言いやすい生徒を狙って怒るターゲットにすることで、他の子供にもわからせようとする手法が教師の間であるらしい。

「大きくて目立つから」その考え自体が偏見であり、時代を錯誤していることを理解していない。

ゆとり世代の教師だから何にも考えていないのかも知れない。

そんな教師が初めて担任を受け持ったのだ。

校内ストーカー編

まずは、入学早々に担任からターゲットにされた息子。

今日の学校での様子を報告します

毎日毎日、息子の学校での様子を自宅に電話して報告されるようになった。

その内容は、

今日は、お弁当食べた後は少し眠たそうでした。

だの、

朝、友達と口喧嘩したみたいで不機嫌でした。

とか、

中学生になったのもつかの間、いつしか保育園か幼稚園の頃に戻ったような毎日を過ごすことになっていた。きっと学校生活での細かなことを報告することで親を味方につけるつもりなのだろう。

そんな電話に真面に応対する気力もうせて出てきた言葉が、

みのり
みのり

ふーん、それで?

中学生にもなって、そんなことを毎日報告されても返す言葉は見つからない。

それとも、

みのり
みのり

お弁当食べて眠たくなったのですね、今後は眠たくならないように言い聞かせます。友達と口喧嘩して機嫌が悪くならないように言っておきます。などと言って欲しいか?

私は不安でたまらない

などと考えているうちに、ひとつの疑問が沸いたので担任に聞いてみた。

みのり
みのり

なぜ息子の事をそんなに見てるんですか?

担任は、

私の視界にM君がいないと不安でたまらなくなるんです。

と言った。これは怖い。

息子に、

みのり
みのり

担任がおかしいと思うことはないか?

と聞いてみたところ、

学校の中でも1階に行けばついてくるし、トイレに行ってもトイレの戸の所で待たれるし、水を飲みに行けば水飲み場についてくるし、他教科の授業中でも自分の担当授業が無ければ教室に入って来て、ジーッとそばにいたりするから気持ち悪いんだよ。

と言う。

ここまでやれば、立派な校内ストーカーではないか。

セクハラ編

何でそんなことがわかるの

ある日のこと、担任が電話してきた時、

かなり力もついてきて、筋肉がついて腕も太くなってきてます。

と報告される。

みのり
みのり

なんでそんなことがわかるんですか?

と、その時担任に聞いたがそれ以上は答えなかった。

子供に聞くと、担任が話すとき肩・背中・腕をさすりながら話すらしい。「話をするときに触らないで」と言っても、あくる日にはまた話しながら触られる。また、担任以外で横に座って話をしながらふとももをさする女教師Sがいるらしい。

息子が身体を触られることに嫌悪感を抱いているのだからセクハラでアウトである。

ターゲットの変更

息子は肩や腕を撫でられて、

太くなったね。

と言われた事で担任の顔を見るだけで吐き気がするようになった。

親が直接「担任であっても息子に関わらないで下さい。」と言ったら、その後は少しだけましになったというか、ターゲットが他の子供に変わったらしい。

何がどう改善されているのかわからない

結局、教育委員会と校長先生に相談して教育委員会から調査が入った。たが、女教師に対してどのように指導したのかなどは教えてもらえない。

それが学校組織というものなのだ。表沙汰になっては困ることは教育委員会と協力して隠すのだ。

まだまだ辛い中学生活は続いてゆく。

まとめ

「学校は生徒を教育できず、教師を教育する場になっている。」