水泳は個人競技である。一部リレーによるチーム競技があるが、泳者がゴールすると飛び込むというものであり、陸上のリレー競技のようなバトン連携とは性質が異なる。
水泳クラブで求められるチームは何なのか。
チームジャパンとしてメダルを獲得
2016年8月9日、リオデジャネイロ五輪の競泳男子800メートルリレーで日本が同種目では1964年の東京五輪以来52年ぶりのメダルとなる銅メダルを獲得したことは記憶に新しい。チームジャパンというコンセプトで個人競技の水泳をチーム競技として捉え全体で戦うことで銅メダルを勝ち取ることができたのである。
オリンピックでは、資質が最高水準にある選ばれた者が集結し、チームジャパンとしてメダルを狙う。一つの目的で集められたチームの要員は、力が均衡していてライバル関係にある、目指す目標が同じ方向に向いている者たちだ。
水泳クラブの求めるチーム
水泳クラブの選手の実情
水泳クラブでは、目指す目標もまだ定まらず、資質もバラバラの者の集まりであり、クラブの選手コースには小学生の低学年から大学生までが在籍している。
それぞれの目標も、オリンピックを目指す者、運動のために続ける者、進学に少しでも有利になるように続ける者などまちまちである。
また、水泳クラブの中には、幼少期から同じクラブで練習してきた者や、他のクラブから転籍してきた者がいる。そこには派閥のような関係が生まれる。
そして、現在の水泳クラブに満足している選手はどれくらいいるのだろうか。他の水泳クラブに移籍したいが、立地などを考えると我慢するしかないという選手は以外に多いかもしれない。
希薄化する人間関係
昔は、水泳クラブの中でも先輩、後輩という関係があった。そして、コーチに対しても信頼があった。しかし、今の時代は上下関係も人間関係も希薄化し、先輩とも思わない後輩、後輩に対して無関心な先輩が、信頼されないコーチの指導で同じプールで練習しているのが現状だ。
練習でも互いに競い合うのではなく、通常のプログラム練習時にはいかに手を抜い体力を温存し、メインプログラムだけ良いパフォーマンスを見せて、アピールするような練習が平気で行われている。
先輩、後輩、コーチ、それぞれの立場が機能していない水泳クラブは強くなれない。
水泳はチーム競技だと言うコーチ
団体行動を通してチーム力を高めるという考えには反対である。チームの力が高まれば個人が伸びてゆくと言いたいのだろうが、それは一昔前の考え方だ。
この水泳クラブがチームとして求めていることは、大会への行き帰りは共に行動する、大会の時には選手の控え場所に一緒にいる、合宿に参加する、みんなで応援するなどの、ただ単にクラブの一員として、見た目まとまった団体行動をするということである。
「チームとは、共通の目的のために集まった人物の集合体である。」
「水泳クラブは、個々の目的のために集まった人物の集合体である。」
それぞれの目的が根本的に違うのである。
また、在籍する水泳クラブの中で起こることと言えば、盗難、いじめ、人の邪魔をする行為だ。そのような者が集まって団体行動したところでチームが生まれるはずもない。
水泳クラブに所属しているそれぞれの者たちの目的も意識は違うからだ。
親も水泳クラブにチーム性を求めていない
中学生や高校生や大学生には今後の進路がのしかかっている。水泳人生を送ることができるのは一握りだ。個人競技として華が咲かなければ終わりなのである。そこにチームごっこは必要ないのだ。
水泳クラブの親もチームを求めてはおらず、自分の子供が強い選手に育ち最高のパフォーマンスをすることにしか興味がないことは当たり前のことだろう。
強い個人が同じ目標、同じ信念で集まって生まれるチーム
チームがあるから個人が最高のパフォーマンスができるのではない。
チームジャパンのようなチームを考えるのであれば、まずは、個人競技を勝ち抜いていく強い個人が必要なのだ。
水泳クラブに最高のパフォーマンスをする個人が何人も育ち、クラブとして明確な目標が見えてきたときに初めてチームが生まれてくる。
だから、水泳クラブで「水泳はチーム競技だ」と簡単に言って欲しくないのである。
まとめ
「強い同レベルの個人が集まることでチームという意識が芽生える。」
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