3度の余命宣告

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南国気分

 

最初の余命宣告、あなたの余命は数か月です。

私は、20歳の頃は仕事が忙しくてかなり無理もしていた。

仕事をしながら、それでも上の資格取りたくて夜間に学校に通っていた。

半年に一度くらいは寝込む事があり、それが徐々に三ヶ月に一度寝込むようになったある日のこと。

仕事から帰ると、家の玄関で意識を失って倒れてしまった。

そんな私を、姉が病院に運んでくれ、高熱のまま医師の言葉を聞いた。

「もう長くはない!もって、数ヶ月です」

これが、私の「最初の余命宣告」だった。

ベットの上で意識がもうろうとする状態で、自分の余命宣告を聞いた時、

「何言ってるんだろう?私はまだ若いのに大丈夫?この医者?」

と思っていた。

だけど、後に意識がしっかりした時に見た検査結果は、本当にその日に死んでもしかたがな

いようなものだった。

病名は不明。

でも、「数か月の余命宣告」をくつがえし、4年後に私は結婚した。

「そんな体で子供を授かることは絶対に望んではいけない」

と言われていたにもかかわらず妊娠した。

かなりひどい妊娠中毒で入退院をくりかえし、

「子供か?あなたの命か?」

の選択を迫られたが、無事に我が子は産まれ、私も無事だった!

「一人っ子ではかわいそう」

私は、2人目を産む決心をした!

1人目と同様、妊娠中はいろいろ大変だったが無事出産することが出来た。

2度目の余命宣告、あなたの余命は3年です。

2人とも五体満足に生まれてくれた。

しかし、2人目が3才になる頃に私の体調は急激に悪くなっていった。

思うように仕事もできずに休む事も多くなった。

この時もいろいろ検査を受けるが、相変わらず病名が判明しないままだった。

医師からは、

「このままだと3年がやっとでしょうね。治療法もわかりません。」

と「2度目の余命宣告」を告げられた。

余命宣告を受けても、病名がわからず検査にお金がかかるため、仕事を辞める事はできなかった。

なんとか病気休暇をもらったが、時折の原因不明の急な発熱は40℃。

嘔吐などをくりかえし、当時の旦那に

「病院に連れて行って」

と頼むが、

「イヤだ!」

「救急車呼んでも、近所迷惑だから朝まで待って一人で行け!」

と言われる始末。

私は、「絶対生きて、こいつと離婚してやる!」と強く思った。

そして、医師の「3年の余命宣告」をくつがえし、3年後に離婚した!!

3度目の余命宣告、あなたの余命は5年です。

離婚できたと思ったら、今度は検査で癌が見つかった。

「あなたの余命は、5年です」

私は、1人で医師の説明を受けて手術を決めた。

そして、医師の「5年の余命宣告」をくつがえし10年経つ。

原因不明だった病気も今では難病とわかり、再婚して新しい家族と楽しく生活している。

3人の医師に「3度も余命宣告」を受けた私にとっては、余命宣告自体がよくわからないものになった。

それでも、「余命◯年…」と言われると、その年月が過ぎるまでは、生きている心地がしないものだ。

まとめ

「医者の余命宣告は絶対ではない、自分の余命は自分で決める。」